空から繋がった、一通の手紙

目に見えるものだけが、この世界のすべてではないのかもしれません。
時に運命は、誰もが想像もしないような不思議なルートを辿って、
大切な人からの「最後のメッセージ」を届けてくれることがあります。
時を超えて、お互いの人生の特等席に座り合うサードファミリー。
そんな温かい関係の中にあった、
一人の大切な人の旅立ちと、
そこから始まった奇跡の物語があります。
「フォッフォッフォ、俺の人生の中でさ。
あいつと仕事できたことをほんっと、誇りに思うよ。」
2024年の夏、生前のパパは愛おしそうに昔の仲間のことを語っていました。
パパは、私が以前、児童指導員をしていた頃に出逢った元同僚の旦那さん。
私にとって、まさに「サードファミリー」のような存在で、
よくご自宅へ、パパの話し相手をしに遊びに行っていました。
持病が再発したパパの自宅で、淹れてくれたアイスコーヒーを飲みながら、
昔話に花を咲かせていたとき、ある人物の名前が出てきたのです。
その方こそ、のちに私のメンターとなる人でした。
「そんな風に思う人がいるなら、今すぐ連絡しいよ!
パパいつ死ぬかわかんないじゃん。」
会ったこともない人なのに、なぜか強烈にそう思い、
渋るパパに猛プッシュしました。
「そういう人こそ、お世話になった人を忘れんよ。ここで一緒に話そう!」
「フォッフォッフォッ。君とあいつは話が合うと思うよ。」
パパはいつものように優しく笑っていました。
しかし、その優しい笑顔を見たのはそれが最期でした。
2025年、パパは天国へ旅立ってしまったのです。
パパの旅立ちを知らない私は、ふと気になって元同僚に連絡しました。
「元気??パパも元気??」と。
返ってきたのは、
「パパは天国に逝ってしまいました。」という言葉。
そこで初めて、私はパパの訃報を知るのです。
数ヶ月前まであんなに笑って話をしていたのに…。
ぽっかりと心に穴が空いたような日々を過ごしていた、
1週間ほど経ったある夜のこと。
「ピロン」と、携帯の着信音が鳴りました。
画面に映ったのは、SNSの「友だちかも」という通知。
そこになぜか、パパの名前が表示されたのです。
「あ、パパだ…」
懐かしさから生前の投稿を眺めていたとき、
ふと予感がして
「共通の友だち」を開きました。
そこには、あの時パパが誇らしげに語っていた、
メンターの名前があったのです。
これはパパからのメッセージかもしれない。
そう直感した私は、思い切って友達申請のボタンを押しました。
自分を「誇り」とまで言ってくれた先輩の訃報を、
何年も経ってから知るなんて悲しすぎる。
どんな形であれ、パパが生前あんなに嬉しそうに語っていた想いを、
どうしても伝えたい一心でした。
見ず知らずの私からの申請なんて、承認されないかもしれない。
それでも、とにかくこの奇跡を伝えようと、
私はパパへの想いを綴ったA4用紙1枚分の手紙を書きあげ、
いつでも写真ですぐ送れるように準備して待ちました。
数日後、奇跡が起こり、
メンターから承認の通知が届きました。
私は丁寧に自己紹介をし、用意していた手紙をすぐに送りました。
「伝えてくれて本当にありがとう。すごく可愛がってもらった先輩だった。
訃報は、今初めて知りました。」
返信には深い感謝の言葉と、
すぐにお線香をあげに行きたいという真っ直ぐな想いが綴られていました。
「しばらく経って落ち着いたらぜひ、ご一緒させてください。」
そうお伝えして、
「よかったら、一度どこかでお会いできませんか?」
と思い切って申し出ました。
日本中を忙しく飛び回っている方だと知っていましたが、
こういう人はどんなスタンスで仕事をしているのか知りたい。
そして、じぶんだけの「いろ」を求めて、
のたうち回っている私を見て、
この人はどんな印象を持つんだろう。
そんな素朴な疑問と、「この人はきっと会える。」
という不思議な直感があったのです。
返ってきた答えは、
「明日、たまたま空いてまして。」
またしても奇跡が重なり、翌日、偶然にも熊本でお会いすることができたのです。
2025年3月5日のことでした。
それからしばらく経った7月。
パパのご自宅に、メンター、
そして生前パパと一緒に働いていた元同僚の三人。
そこに、娘でも家族でもない私が交ざっていました。
不思議なご縁で繋がったメンバーで、
ようやくパパの元を訪れることができたのです。
その日は想い出話に花が咲き、
パパの昔の武勇伝もたくさん飛び出しました。
遺影の中で笑うパパも、
「えっへん」と誇らしげに胸を張っているような気がして、
何だかとても素敵な時間を過ごすことができました。
私はどうしてもパパの想いを伝えたかった。
同時に、今思えば、私自身が自分の生きる道を探していたのだと思います。
『ありのままが一番だよ。こんなことできる人、他にいないよ。』
メンターは、不器用にもがいていたありのままの私を、
「価値」だと呼んでくれました。
じぶんだけの「いろ」を探し回り、
何色にもなれずに迷っていたカメレオン。
たった一つのオンリーワンポジションを目指して。
ここから、私の『THE VIOLET』へと至る、
果てしない壁打ちの旅が、幕を開けたのです。
