コート上の重圧と、見守る背中

いまのあなたを形づくっている「土台」は、
いつ、どこで生まれたものでしょうか。
1分1秒、一瞬一瞬を全力で駆け抜けた、
あの目まぐるしい季節。
正解や損得なんて関係なく、
ただ目の前の目標と仲間のために、
ボロボロになってでも闘い続けた記憶が、
誰の人生にもひとつはあるかもしれません。
これは、じぶんだけの「いろ」を見つける遥か手前、
ひとりの少女が『逆境を楽しめ』の精神を手にいれるまでの、
始まりの物語です。
「人生の中で1番頑張っていた時期っていつですか。」
そう問われたら、高校3年間かなぁ。
と、答えると思います。
振り返ると、いつの時代もそれなりに頑張ってはきましたが、
毎日毎日、
ただ全国大会だけを見据えて頑張っていたあの頃は、
私の人生にとっても、ものすごく色濃く、
間違いなく今の自分の土台になっています。
バレーボールを始めたのは小学3年生の時でした。
通っていたのは田舎の1クラスしかない小さな学校。
学校の外にも友だちが欲しかったこと、
そして何より、「ドッジボールが上手なライバルに負けたくなかったから」
という理由で、近所の友だちのお母さんに誘われて、
町のジュニアバレーに入りました。
4人兄妹の末っ子として生まれた私は、
幼いながらにお金のかかることには親に気を遣っていて、
自分から「これがやりたい」「これ買って」
と言える子ではありませんでした。
すぐ辞めて根性なしと思われるのも嫌でしたし…。
でも、バレーボールに関してはなぜか、
「やってみたい。」と素直に言えた。
今思えば不思議ですが、あの時一歩を踏み出せたおかげで、
ここまで続けることができて、本当によかった。
本当は入部して1週間くらいで「きついな、テレビ見たいな」と思っていたんですが。(笑)
「ここで辞めたらバカにされる。」
そう思って続けてきたからこそ、自分自身と深く向き合い、
弱さを認め、他者を認め、闘える人間になれた。
そうして、かけがえのない仲間と繋がっていく人生になったんだと、
心からそう思います。
私はラッキーな人間でした。
周りより頭ひとつ分高い身長、
サウスポー、そしてお調子者。
共働きの両親に代わって送迎を引き受けてくれた友だちの親御さん。
すべての条件が揃っていたから、私はバレーボールを始めることができたのです。
町のジュニアバレー、近所の中学校の部活、
高校は進学校に行くのかなと漠然と思っていましたが…
のちの恩師となる高校の先生との出逢いで、
私のバレーボール人生は、ここから大きく開花していくのでした。
この先の、壮絶で、愛おしい高校時代の全貌は【note】にて。

幼馴染と中学時代の恩師

インターハイ全国大会(2年、夏)

そして今もこうして母校に集合