何者でもない私が見つけた、じぶんだけのいろ

世間が用意した「就職活動」という型に、
自分を無理やり当てはめようとして、息苦しくなっていませんか。
4月1日になったら一斉にスーツを着て、
「この会社で頑張ります」と正解の笑顔を浮かべる。
それができる人もいれば、どうしてもその未来に、
じぶんだけの「いろ」を描けない人だっているのです。
何者かにならなきゃいけないと、のたうち回った珍道中の先に、
正解を求めない、ありのままの生き方のはじまりがありました。
時計屋さん、ケーキ屋さん、お花屋さんに始まり、
モーニング娘。、スチュワーデス…
小さい頃から「なりたいもの」は人並みにたくさんありました。
中学生の頃は、海外で仕事をしたいと、地元で有名な英語塾に通い、
英語を活かした職業を漠然と思い描いていましたが、
気づけば高校、大学とバレーボールで進路を決めて生きてきました。
大学では保健体育の教員免許はとったものの、
心の中の私がツッコミを入れます。
「右むけ右」ができない私が、体育の先生??
かといって、4月1日からスーツを着てオフィスに収まっている自分の姿も、
全くイメージできませんでした。
周りの同級生が就職活動に動き出すのを応援しながら、
私は就活というものを一切しないまま、大学4年の2月。
「さすがに卒業したら何もしないってわけにもいかないか…」
そこから始まったのが、私なりの型破りな就職活動でした。
当時から人生のあらゆる局面で、
伝えたいメッセージを何かしらのカタチにして、
とにかく行動あるのみ。
周りに一切相談せず動いてしまうので、あとで説明するのが大変です。
家族も含め、周りの人間は
『自分の理解の範疇に私がいない』ということを
ありがたいことによく理解してくださっています。(笑)
毎日大好きな温泉に入りながら働こう!!
そう思いたったら即行動。近くの温泉地の旅館を調べて予約し、
履歴書をバックに詰め込んで、原付バイクでそのまま泊まりに行きました。
翌日、父から
「お、お、お、温泉旅館の女将になるつもりなのかい?」
と確認の電話が入ります。
「それもそうか…じゃあ、何がいいんだろう。」
悩みに悩んで、次に閃いたのは、
「人の役に立てる、おくりびと(納棺師)になるしかない。」
と、もっくん主演のDVDを借りてきて、
アパートで見てボロ泣きし、
翌日には納棺師事務所を調べて原付を走らせていました。
(結局その日はお休みで誰にも会えず、
カラスがたくさん飛んでいて、『なんか違うな』と帰ってきたのですが。)
そんな珍道中の最中、大学の研修室に戻ると、
私が将来に向けて動き出したという事実を知った先生が、
気弱そうに、こう言うのです。
「うちのNPOのスタッフとして雇いたい。資金の出どころがまだ未定なんだけど…」
「そうなの!?だったらいいじゃん。私いたら大丈夫だよ!オッケー決まり!」
こうして私の就職活動は、温泉旅館への宿泊含め、
わずか3日間で幕を閉じました。(笑)
1年間仮採用で検討してくださっていた
温泉旅館の若女将や支配人からは、
「ご自身の決められた道で頑張ってください」とあたたかいメッセージもらい、
帰り道には長い下り坂でスピード違反で白バイに捕まる…
そのおまわりさんと会話していたら警察にスカウトされる…
「なるワケなかやん!」と最寄りの郵便局で窓口のお姉さんにボヤキながら、
支払いしたのも今となってはいい思い出です。(笑)
そして私の新社会人生活が始まりました。
資金調達から、運営、会計、インストラクターまで、
飛び込んだNPOでの4年間は、
まさに事業主のような目まぐるしい日々でした。
事業はどんどん拡大し、「やりがいってこういうことか」と肌で知る。
仕事をすることにさほど興味のなかった私が、
多くの人と交流し、ゼロから何かを創り出す面白さに目覚めた、
本当に大切な期間となりました。
けれど、そこからの私は「自分が何者なのか」を、
ひたすら模索し続けることになります。
かつて人生のすべてだった、バレーボールに代わる、
「自分だけの代名詞」がどうしても欲しかったのかもしれません。
ものづくりの職人に憧れては、手紙を持って東京の有名店に飛び込み、
パン作りの修行をし、(この時は、甥っ子の将来の就労支援も見据えて『パンだ!』と閃いたのです。)
やっていくうちに「自分が黙々と作業をする職人タイプではないな。」
と気づいてからは、発達障がい児向けの児童指導員の道へ。
またある時は、素敵な先生との出逢いに導かれて、
体育だけを小学生に教えに行ったりもしました。
どこに行っても何とかやっていけるし、どんな仕事も全力で楽しめる。
けれど、「いったいどこが自分の居場所なんだろう。」
という問いが、いつも頭の片隅にありました。
どこでもやっていける自分を誇りに思いながら、
ずっと何者でもない自分がどこかコンプレックスだったのです。
「私は一体、何者なんだろう」と。
私は、何者でもない自分を愛するための屋号を掲げました。
『CHAMELEON GEORGE(カメレオン・ジョージ)』
小さい頃からのバイブルだったあの主人公のように、
「何色でもない私だけど、環境に合わせてどんな色にでもなれる。
それこそが、私の個性なんだ」と信じて。
当時の私は、相手に合わせて何色にでもなって関われること、
他者の中で活きることが強みだと思っていました。
でもそのカメレオンは今、
じぶんのいろを探してのたうち回ったことで、
全く新しい姿へと変貌を遂げました。
『相手の中にある、まだ見ぬ色を自分の中に映し出し、それを全肯定する存在』へ。
カメレオンが行き着いた、じぶんだけのいろ。
さらなる進化を遂げ、運命の秒針が重なった現在の着地点は、
次のエピソードで。

「私いたら大丈夫!」から始まった、
地域を沸かせる事業展開(NPO時代)

「つくる職人」を目指し、駆け抜けた東京修行時代

ありのままを全肯定した、夏の記憶