高純度で、超軽量に生きるということ

誰もが「何者か」になろうと、
たくさんの荷物を背負い込んで生きています。
資格や実績、誰かから認められるための役割。
けれど、本当に自分らしい人生を歩み始める時、
私たちはむしろ、その荷物を一つずつ手放していくのかもしれません。
自分の中にある矛盾を受け入れ、
余計なものを削ぎ落としたとき、
そこには極限まで純度の高まった「本当の自分」が残ります。
それは、どこへでも飛んでいけるほど、
軽やかで自由な生き方です。
「文章を書くことが好き。いつかそんな仕事がしてみたい。」
憧れのモンブランの万年筆で、美しい文字を書くにふさわしい人間になりたい…
私が最初に掲げた屋号「CHAMELEON GEORGE」は、
そんな未来へのペンネームのような存在でした。
自分の特性でもある「CHAMELEON」に、
大好きな作家・村上春樹さんが
昔経営されていたジャズ喫茶「ピーターキャット」
のようなイメージで添えた、男の子みたいな名前の「GEORGE」。
所ジョージさんのような遊び心を、
おさるのジョージのような好奇心を、
そして何より「常時、誰かのそばに。」
という想いを込めた名前です。
大人になってもなりたいものがわからなかった私が、
なぜ「文章」だったのか。
実は昔の私は、自分の想いを言葉で表現することが
超がつくほど苦手な人間、むしろ、全くできない人間でした。
そんな私の能力を開花させてくれたのが、高校時代に出逢った、
受験対策の小論文指導をしてくださった国語の先生でした。
当時は、高校3年間の過酷なバレーボール現役生活を引退したばかりの時期。
インターハイ・春高バレー・国体
全ての全国大会に出場し、福岡県No.1チームのキャプテンという輝かしい実績の裏で、
当時の私の自己肯定感は、ビックリするほど低くボロボロでした。
体育会系の激しい生活の中で、心はきわめて文系で、
複雑な感情を抱え、身も心も擦り切れながら走り抜いた3年間だったのです。
そんな自己肯定感が迷子になった状態で書いた、
800文字の小論文。
練習の原稿を読むなり、国語の敏腕先生は開口一番、こう言います。
「あなたの書く文章は、読んでいて疲れるわ。」
容赦のない辛辣なメッセージでした。
優等生でありながら劣等生である自覚のあった私は、
同時にこう直感したのです。
「こんなにもストレートにメッセージを投げてくる、
この人のセンスに引っかかる人間になりたい。」と。
自分の心の迷いや肯定感の低さが、
文章を通じて他人に迷惑をかけるレベルで滲み出ていることに、
気付かされた瞬間でした。
この国語の先生は、本当にユニークな先生でした。
入学式の代表スピーチで私の声を
「とてもいい声ね。」と、褒めてくれたこと。
授業中に
「クラスで仲良くまとまって…なんて、そんなのいらないのよ。」
と言い放ち、
昨日行ってきた博多のコンサートでの感想を熱弁しながら、
「『ブラボー!』と、寸分の狂いもなく言えるような、そんな大人になりなさい。」
と語ってくれたこと。
人の質がわかる「心のひだ」の話をしてくれる先生との出逢いが、
私のなかの表現の扉を、少しずつ開いていってくれたのです。
自分の感情をすべて打ち明けるのが文章ではない。
目の前で読んでくれる人の心に届く、
私の中の『プラス』を、
伝えたいメッセージをちゃんと届くように書こう。
そう思うようになって、文章がどんどん書けるようになっていきました。
最初は赤ペンで真っ赤に塗りつぶされていた文章に、
「よくなってきたじゃないの。」
というメッセージをもらえるようになり、
おかげで無事、大学にも合格することができたのです。
そこから小説やエッセイ、ビジネス書も。
いろんなジャンルの書物を読めるようになりました。
そして、『書くこと』に憧れた。
小説を書けるほどの心のマグマは持ち合わせていない。
何かの専門家でもないし、
一つのことにずっと集中して黙々とって感じでもない。
人と関わりながら、コミュニケーションをとりながら。
その人が自分でも気づけない魅力や生き様を言葉で描きたいと。
それこそが、私のやりたいことなのだと確信していきました。
昔からふと手に取ってしまう作品は、
なぜか『手紙』
というキーワードを持つ作品ばかりでした。
その中の一つに、
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という素晴らしい作品があります。
人の想いを汲み取り、手紙に代筆する彼女の姿を見たとき、
「私がやりたいことは、限りなくこの仕事に近い。こんな仕事がしてみたい。」
と魂が震えるような感覚を持ちました。
社会に出て働くなかで、仕事をすることには大きなやりがいを感じていました。
人との出逢いで自分自身が磨かれ、
成長し、新しい自分を発見していく。
そこに面白みを感じる一方、どこかで「既存の枠組みの中に、自分の生き方はない」
とも感じていました。
誰とでも調和して生きているようで、
独自の世界観は孤独の領域にあったのです。
幼い頃から、私の真ん中にはいつも、相反する二つの自分が共存していました。
元気でお調子者、体育会系でサバサバと集団の先頭を走る自分。
その一方で、一つの物事を深く深く見つめ、
静かに想いを馳せる、孤独を愛する文系の自分。
誰とでも共存できるように見えて、どこか既存の枠組みにはハマりきれない。
そんな私が、のたうち回りながら探し求めていた生き方___
それこそが、あらゆる荷物を手放し、
私という存在の純度を極限まで高めた
『超軽量』のスタイルだったのです。
カメレオンが行き着いた、本当の「じぶんだけのいろ」。
それは、誰かの色に染まることではなく、
目の前の人がまだ気づいていない『美しい色』を私の中に映し出し、
言葉という名の手紙にして、全肯定すること。
『THE VIOLET(ザ・ヴァイオレット)』
それは私の会社の名前であり、
私という人間の、これからの生き方そのものです。
今日も私は、心地よい季節の風を感じながら、
旅する手紙屋(代筆屋)として、
あなたのサードファミリーとして、
世界にたった一つの大切な想いを編み続けています。

2016年の後半ごろから書きためた
3年日記(東京修業時代が綴られている)

2020〜2022
(主に発達障がい児向け児童指導員時代が綴られている)

2023〜2025
(CHAMELEON GEORGEとして模索していた時代)

2026〜2028
(THE VIOLETとしてのこれからが綴られる)